古い写真パート2

まず最初は昭和33年頃の亀津、埋め立てが無く海岸線が見える貴重な写真かも

もう一枚は島人さんから送ってもらった役場の新築祈念の写真です。

AIを使った超拡大ソフトで看板を拡大しました。

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古い写真パート2 への7件のフィードバック

  1. 島人 のコメント:

    干潮の時間帯に写した写真のようで永濱(浜)が中区から北区にかけて綺麗に写ってますよね。

  2. isamu のコメント:

    暇人さんが、明日、明後日辺り公共の建物に関して色々調べてくるかも
    なんか、張り切ってた。

  3. 暇人 のコメント:

    此れ此れ我が師よ、あおるな!!

    金曜日に副町長にたまたま会いで、疑問提起で話し、副町長もうろ覚えで月曜日以降に来てと、調べるのに協力するとの一言を貰い!!(真実です)

    私の記憶も真実だと思うし、他の方々の記憶も真実だろうと!!

    他にも真実多々だろう!!

    誰か我が師を弄り遊ぶ奴現れないか(マコッチャン!!他)ワシには我が師を弄り遊ぶ能力が無いので!!

  4. 島人 のコメント:

    然しながらこの亀津の昔の写真を見て思う事は、亀津は大瀬川とリーフが有ってこその町だなとつくづく実感します。「縄文海進」も大きく役割を果たしている事には間違いは無いのですが、海岸線から奥深くまで入り込んだ地形が有ったが為に数万年の時を経てこれだけの平坦な土地が出来たんですからね、、、(^^)

  5. isamu のコメント:

    考古学的にはカムィヤキの積み出し港は亀の付く亀津説と
    面縄港説、鹿浦港説等ありますが、今年尾母の発掘をすれば
    亀津が有力になるかも、

    • 島人 のコメント:

      完成したカムィヤキの運搬の難儀さを考えたら面縄や鹿浦が適地な様な気がしますが、、、尾母は亀津への運搬の経由地だったのですか?

  6. isamu のコメント:

    尾母は伊仙から亀津への今でいう県道沿いのような場所です。
    カムィヤキの場合、カムィヤキ自体値打ちがあると言う考え方と
    あくまで容器という考え方の場合いろんな商人の多い亀津が有利という事に
    カムィヤキ自体商品としてのバラつきが大きく容器と考えるた方が無難な感じです。

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